この記事は、2021年7月20日に残した認知症の進行状況メモをもとに、当時の出来事や家族の対応を振り返って書いています。本文では、母を「鮨子」、長男である私を「日和鷹」という仮名で記載しています。
2021年7月頃、母・鮨子の生活に、それまでとは少し違う変化が目立つようになりました。
物を忘れる。予定を何度も確認する。スマホの操作が難しくなる。
それまでにも認知症によるさまざまな変化はありましたが、この頃からは「毎日の生活を自分で整えること」そのものが難しくなってきたのです。
その一つが、着替えでした。
玄関カメラを見て「ずっと同じ服だ」と気づいた
母の自宅には、見守りのため玄関付近を確認できるカメラを設置していました。
あるとき映像を見返していて、気になることに気づきました。
何日見ても、母が同じ服を着ているのです。
確認してみると、1週間ほど同じ服を着続けていたことが分かりました。
「そういえば、ずっと同じ服を着ているな……」
本人が気に入って同じ服を選んでいる、という状態ではありませんでした。
母は、タンスの中から着替える服や下着を自分で探し出すことが難しくなっていました。
服を着替えようという行動自体も、以前より少なくなっていたように思います。
昼間の服を着たまま寝ることもあった
母と電話で話していると、夜も寝間着へ着替えず、その日一日着ていた服のまま寝ることがあると分かりました。
以前の母であれば、夜になれば寝間着へ着替え、朝になれば普段着へ着替えるのが当たり前でした。
その一連の習慣が、少しずつ崩れていました。
単に「着替えるのを忘れた」というより、
- 着替える服がどこにあるのか分からない
- 何を着ればよいのか判断しにくい
- 今が着替えるタイミングだと気づかない
- 着替えるという一連の行動につながらない
といったことが重なっているように見えました。
新しい服と下着を用意しても、それだけでは足りなかった
最初は、「着やすい服を分かりやすく用意しておけば大丈夫なのではないか」と考えました。
そこで、新しい洋服や下着を購入して、母が使えるように準備しました。
しかし、服が家にあることと、自分でそれを探し、選び、着替えることは別の問題でした。
タンスの中に服が入っていても、それを自分で見つけられなければ着替えにはつながりません。
結局、私は電話をしながら、着替えを促すようになりました。
「今日は着替えようか」
「新しい下着を出してあるから、それに替えてね」
電話で声をかけ、その場で行動してもらう。
それまで自分で当たり前にできていたことにも、家族の確認が必要になり始めました。
ヘルパーにも着替えと洗濯をお願いした
家族からの電話だけで毎日の生活を支えることには限界があります。
そこで、利用していた介護サービスにも協力をお願いしました。
ヘルパーさんには、母の着替えと洗濯についても見てもらうことにしました。
「服を用意しておけば、自分で着替えられる」と考えるのではなく、実際に着替えられているかまで確認してもらう必要が出てきたのです。
この頃から、介護サービスは母の生活を維持するために欠かせない存在になっていきました。
お風呂に入る回数も減っていた
着替えと同じ頃、入浴についても気になる変化がありました。
母の髪や頭皮の様子を見ると、以前よりフケが目立つことがありました。
本人へ聞いても、いつ風呂に入ったのかはっきりしません。
以前より入浴の回数そのものが減っているのではないかと感じるようになりました。
入浴については、家族が電話で「お風呂に入って」と言うだけでは、安全面も含めて心配があります。
そこでケアマネジャーとも相談し、入浴サービスを利用することを検討し始めました。
「お風呂に入った?」と聞くだけでは分からない
認知症の母と暮らしていて難しかったのは、本人の答えだけでは実際の状況を確認できないことでした。
「昨日、お風呂に入った?」と聞けば、母は「入った」と答えることもあります。
けれど、本当に昨日入ったのか、数日前の記憶なのか、本人自身も分からなくなっていました。
これは母が嘘をついているわけではありません。
本人の中では「入った」という感覚があるのだと思います。
そのため家族側は、言葉だけでなく、服装、洗濯物、髪の状態、介護サービスの記録など、いくつかの情報を合わせて生活状況を確認するようになりました。
できなくなったことは、家族から見えにくかった
着替えや入浴は、家族と同居していれば比較的気づきやすい変化かもしれません。
しかし、母は一日のすべてを私と一緒に過ごしていたわけではありません。
電話では普通に話します。
歩くこともできます。
一見すると、それまでと大きく変わっていないように見えることもありました。
だからこそ、「何ができなくなっているのか」を把握するのが難しかったのです。
玄関のカメラがなければ、1週間同じ服を着ていたことにも、もう少し長く気づかなかったかもしれません。
認知症の進行を感じたのは「生活の手順」が崩れたときだった
それまでの母には、財布や病院の日程、探し物など、記憶に関係する問題が多く見られていました。
ところが2021年の夏になると、変化する範囲が広がってきました。
服を選ぶ。
着替える。
入浴する。
洗濯する。
こうした毎日の生活を組み立てること自体が、少しずつ難しくなっていきました。
家族としては、「これもできなくなったのか」と気づくたびに、新しい対策を考えることになります。
服が分からなければ服を用意する。
それでも着替えなければ電話で声をかける。
電話だけでは難しくなれば、ヘルパーさんにお願いする。
入浴が難しければ、入浴できる介護サービスを探す。
母の状態が変わるたびに、介護の方法も変えていく必要がありました。
「できない」と決めつけることにも迷いがあった
一方で、家族が何でも先回りしてやってしまうことにも迷いがありました。
できることまで家族が取り上げてしまえば、本人が自分で生活する機会まで失ってしまうのではないか。
私はそう考えていました。
しかし、できていると思って任せていた結果、1週間同じ服を着ていたことも事実です。
どこまで本人に任せて、どこから手助けするのか。
その境目を見つけるのは、とても難しいことでした。
結局、母の場合は「全部やってあげる」のではなく、本人が難しくなった部分だけを少しずつ補う方法を取っていきました。
数週間後には、さらに介助が必要になった
この2021年7月の時点では、電話で声をかけたり、ヘルパーさんに協力してもらったりしながら、何とか生活を続けていました。
しかし、その状態は長く続きませんでした。
翌8月には、風呂場でお湯と水のどちらを出せばよいのか判断できず、シャワーの使い方にも迷うようになります。
着替える服を用意しても、脱いだ服と新しい服が混ざり、汚れた服を再びタンスへしまってしまうことも出てきました。
「着替えを忘れる」という段階から、「一人で着替えることそのものが難しい」という段階へ、短い期間で変わっていきました。
この頃、私は認知症の進行の速さを強く感じるようになりました。
今振り返って思うこと
1週間同じ服を着ていたことは、それだけを見れば小さな出来事かもしれません。
けれど、私にとっては、母の生活能力が変わってきたことを目に見える形で教えてくれた出来事でした。
昨日まで当たり前にできていたことが、いつの間にかできなくなっている。
そして本人自身は、それを困りごととして家族へ伝えられるとは限りません。
「着替えられなくなったから助けて」と母から言われたわけではありませんでした。
周囲が生活の変化に気づき、必要なところへ少しずつ手を入れていく。
在宅での介護では、その繰り返しだったように思います。
この記事について
この記事は、2021年当時に残した介護メモと家族の記憶をもとにした記録です。認知症の症状や必要な介助は一人ひとり異なります。本文は母・鮨子の一例としてお読みください。
次回は、「もう俺には面倒を見られない」と言われた日
2021年7月22日、Gさんから私へ電話がありました。
「毎日、同じことを何度も聞かれて、俺の方がおかしくなってしまう」
「数日間、鮨子を預かって、今後どうするか二人で相談してほしい」
長年母と一緒に暮らしてきたGさんから、初めてはっきりと「介護が限界だ」という言葉が出ました。
その2日後から、母は長年続けてきた二拠点生活を離れ、平井で過ごすことになります。
次回は、母の介護をめぐって家族とGさんとの関係が大きく変わり始めた、この時期を振り返ります。
前回の記録
前回は、小学生時代からの友人から電話をもらっても、そのことを覚えていなかった母と、昔からの人間関係について振り返りました。

