認知症初期の記録④
この連載では、2021年2月8日に作成した介護認定調査用のメモを手がかりに、母・鮨子の認知症初期に起きていた出来事を、家族の視点から振り返ります。
鮨子は、通帳や印鑑、自宅の権利書をいつもの手提げ袋へ入れ、大切な物を自分の手元に置きたがるようになっていました。その一方で、自分が銀行から引き出した現金について、いつ、何のために使ったのかを思い出せないことが増えていきました。
あるとき鮨子は、通帳からまとまった金額が引き出されていることに気づきました。そして、「自分では使っていない。長男が勝手に使った」と、私・日和鷹を疑うようになったのです。
私には、もちろん身に覚えがありません。しかし鮨子にとっては、現金を引き出した記憶がない以上、「自分以外の誰かが使った」という説明の方が自然だったのかもしれません。
本文中の名前は仮名です。また、銀行名、地域名、正確な出金額などは、個人が特定されにくいよう一部をぼかしています。当時の記録をもとに、出来事の趣旨を変えない範囲で文章や時系列を整えています。
通帳から、数十万円単位のお金が引き出されていた
介護認定調査用のメモを確認すると、鮨子の口座からは、数か月の間に数十万円単位の現金が複数回引き出されていました。日常の買い物や生活費としては大きな金額です。
まとまった現金を引き出した際には、銀行から長男である私へ、確認の電話が入ることもありました。鮨子本人が窓口へ来て、現金を引き出そうとしているという内容でした。
その時点では、本人の意思で引き出している以上、私が一方的に止めることはできませんでした。鮨子にも何か必要な理由があるのだろうと思い、ひとまず様子を見るしかありませんでした。
本人には、引き出した記憶が残っていなかった
後日、鮨子と一緒に通帳を確認しました。通帳には、現金を引き出した日付と金額が、はっきりと記録されています。
ところが鮨子は、通帳を見ても「私はこんなお金を下ろしていない」と言いました。窓口で現金を受け取ったことも、その現金を何に使おうとしたのかも、記憶に残っていないようでした。
通帳に記録があることを説明しても、「何か必要だったんじゃない」「現金は手元に置きたいのよ」と話が変わります。出金したことを完全に否定することもあれば、必要があって引き出した可能性を口にすることもありました。
「長男が勝手に使った」と言われた
現金の行方を尋ねるうちに、鮨子は「自分では使っていない。長男が勝手に使った」と言うようになりました。私が通帳やお金の話を確認しようとしたことも、疑われるきっかけになったのかもしれません。
私としては、鮨子の将来の生活費や医療費が心配で、出金の理由を確認していました。しかし鮨子から見れば、お金のことを何度も聞き、通帳を確認しようとする長男は、自分の財産へ干渉してくる存在に見えた可能性があります。
「使っていない」と説明しても、鮨子は納得しませんでした。事実を説明すれば誤解が解けると思っていましたが、通帳の記録を見せるだけでは、本人の不安を消すことはできませんでした。
疑われた側にも、つらさが残った
親からお金を使ったと疑われることは、想像以上につらいものでした。自分は鮨子の財産を守ろうとしているのに、その本人からは財産を奪う人のように見られているのです。
頭では、認知症による記憶の変化が関係しているのかもしれないと分かっていても、感情は簡単には切り替えられません。「どうして自分が疑われなければならないのか」と、腹立たしく感じることもありました。
その一方で、鮨子自身も、本当にお金がなくなったと感じて不安だったのでしょう。誰かを疑わなければ説明できないほど、本人の中では現金の行方が分からなくなっていました。
通帳を見せれば納得すると思っていた
私は、通帳を見れば事実が分かり、鮨子も納得してくれると思っていました。「この日に銀行から引き出しているよ」と、日付と金額を一つずつ説明しました。
しかし鮨子にとって、通帳の数字と、自分が窓口で現金を受け取った出来事は結びつきません。記録が残っていても、自分の記憶にない出来事を受け入れることは難しかったようです。
私が詳しく説明するほど、「長男がお金のことを細かく調べている」という印象だけが強くなった可能性もあります。正しい情報を伝えることと、本人が安心することは、必ずしも同じではありませんでした。
記憶の空白を、本人なりの理由で埋めていたのかもしれない
鮨子の財布や手提げ袋には、現金、通帳、印鑑、メモなどが混在していました。自宅のタンスにも現金を分けてしまうことがあり、家族にも全体像が分からなくなっていました。
本人には現金を引き出した記憶がない。しかし通帳からはお金が減っている。その状況を理解しようとしたとき、「自分以外の誰かが使った」という考えに至ったのかもしれません。
家族には事実と異なる疑いに見えても、鮨子本人は嘘をついているつもりではなかったと思います。自分が確認できる情報の中で、本人なりに理由をつけようとしていたのでしょう。
強く否定しても、問題は解決しなかった
「私は絶対に使っていない」と強く否定すれば、その場では言い合いになります。しかし、しばらくすると鮨子は同じ疑いを口にしました。
説明の内容を忘れてしまえば、また通帳の残高を見て不安になります。そのたびに家族が最初から説明し、本人が納得せず、双方が疲れていく状態でした。
本人の発言をそのまま認めることはできませんが、「お金がなくなったように感じて心配なんだね」と、不安の部分を受け止める方が、言い争いは少なくなりました。
家族が記録を残すようになった
この頃から、私は通帳の入出金だけでなく、銀行から連絡があった日、鮨子が話した内容、家族が確認したことを記録するようになりました。
「大きなお金がなくなった」「長男が使ったと言われた」という記憶だけでは、後から事実関係が分からなくなります。日付、金額、銀行からの連絡内容、本人の発言を分けて書き残すことが重要でした。
当時、記録しておけばよかった内容
- 出金された日付と金額
- 銀行から家族へ連絡があった日時
- 本人が説明した出金理由
- 現金が見つかった場所
- 本人が誰を疑ったか、その際の言葉
- 家族が説明した内容
- 同じ訴えがどのくらい繰り返されたか
こうした記録は、介護認定調査や医療・介護関係者への相談だけでなく、家族自身が事実を整理するためにも役立ちます。
本人の前で、家族同士の話をしないようにした
鮨子の前で「またお金を下ろしている」「通帳を預からないと危ない」と家族同士で話すと、本人は自分の財産を奪われる相談をされているように感じる可能性があります。
そのため、事実確認や今後の対応は、できるだけ鮨子のいない場所で家族同士が整理するようにしました。本人には、一度に多くの説明をせず、必要な内容だけを短く伝えました。
本人に隠れて何かを決めるという意味ではありません。鮨子の不安を必要以上に刺激しないことと、家族が冷静に状況を整理することの両方が必要でした。
今振り返って思うこと
鮨子から疑われた当時は、自分の潔白を分かってもらうことばかり考えていました。通帳を見せ、銀行から連絡があったことを説明すれば、誤解が解けると思っていたのです。
しかし、鮨子が求めていたのは、正しい説明だけではなく、「自分のお金は大丈夫だ」という安心だったのかもしれません。事実を確認することと、不安を和らげることを、分けて考える必要がありました。
家族に疑われる本人も、本人から疑われる家族も、どちらも苦しくなります。誰かを悪者にするのではなく、記憶と現実が結びつかなくなったこと自体を、支援が必要な変化として受け止めることが大切だったと感じています。
これまでの記録
第1話では、財布に現金が入っているのに「お金がない」と言い、見つけた一万円札を日和鷹へ渡そうとした鮨子について振り返っています。
第2話では、買い物のたびに一万円札を出すようになり、古い財布へ小銭が増え続けた出来事を紹介しています。
第3話では、通帳、印鑑、自宅の権利書をいつもの手提げ袋へ入れ、肌身離さず持ち歩いた鮨子について振り返っています。
次回の記録
次回は、相次ぐ出金から鮨子の貯金を守るため、通帳や印鑑の管理を日和鷹へ任せてほしいと伝えたものの、「自分のお金は自分で管理する」と強く拒まれた時期を振り返ります。
登場人物について
鮨子、日和鷹、日和嫁、Gさんについては、次の記事で紹介しています。


