この記事は、2021年2月8日に作成した介護認定調査用のメモをもとに、当時の出来事や家族の対応を振り返って書いています。本文では、母を「鮨子」、長男である私を「日和鷹」、妻を「日和嫁」、母の事実婚のパートナーを「Gさん」という仮名で記載しています。
母・鮨子は、アルツハイマー型認知症と診断された後、月に一度、認知症専門クリニックへ通っていました。
通院には私が付き添い、診察を受け、処方箋を持って同じ建物内の薬局へ行くのが毎月の流れです。
しかし母は、自分が何のためにこの病院へ通っているのか、次第に分からなくなっていました。
病院へ向かう途中や待合室で、母に通院理由を尋ねると、次のように答えることがありました。
「脚の手術をしたから、その診察じゃないの?」
母が思い出していたのは、数年前に受けた股関節の手術でした。
実際には、その日に訪れていたのは股関節の診察ではなく、アルツハイマー型認知症の診察を受けるクリニックです。
母の中では、過去の手術と現在の通院が一つにつながっていたようでした。
病院へ行くことは分かっていても、目的が分からない
母は、私と一緒に病院へ行くこと自体を強く拒んでいたわけではありません。
「今日は病院へ行くよ」と伝えれば、着替えて準備をしてくれます。
電車やタクシーに乗り、受付を済ませ、診察室へ入ることもできました。
一見すると、問題なく通院できているように見えます。
しかし、「どこの病院か」「何の診察か」「なぜ毎月来るのか」という情報は、母の中でうまく結びつかなくなっていました。
行動としては病院へ来られていても、目的を理解できているとは限らなかったのです。
診察は毎回、同じような質問から始まった
診察では、医師から母へ、現在の生活や体調について質問がありました。
日付や季節、その日の予定などを確認する質問もありました。
通院を始めた頃は、多少迷いながらも答えられることがありました。
ところが回を重ねるうちに、季節が分からなくなったり、質問への受け答えに時間がかかったりする場面が増えていきました。
母は、答えを考えながら私の顔を見ることもありました。
答えられないことを本人も何となく感じ取り、ばつが悪そうにしているように見えることもありました。
ただし、それが母自身の恥ずかしさだったのか、不安だったのか、家族には正確には分かりません。
少なくとも、質問に答えられないことを責められているように感じないよう、私は横から答えを急いで言わないように意識しました。
本人の前で家族が状態を説明する難しさ
認知症の診察では、本人の回答だけでなく、家族から見た生活上の変化を医師へ伝える必要があります。
薬を飲めていないこと、病院へ何度も電話してしまうこと、金銭管理が難しくなっていることなどです。
しかし、母の目の前で困りごとを並べることには、ためらいがありました。
本人に聞こえるところで、「できなくなったこと」を次々に説明すれば、母の自尊心を傷つけるかもしれません。
一方で、家族が状況を正確に伝えなければ、医師も生活上の変化を把握できません。
そこで私は、事前に出来事をメモへ整理し、診察中は必要なことだけを簡潔に伝えるようにしました。
今回の記事のもとになった介護認定調査用メモも、こうした日常の変化を忘れずに説明するために作ったものです。
薬を飲んでいても、家族には進行が早く感じられた
母には、認知症の症状に対する薬が処方されていました。
家族としては、薬を続ければ、現在の状態を少しでも長く保てるのではないかという期待がありました。
しかし、日常生活の中では、母の受け答えや予定の理解が少しずつ難しくなっているように感じました。
季節が分からない。
病院へ来た理由が分からない。
説明しても、しばらくすると忘れてしまう。
一つひとつの変化は小さくても、毎日接している家族には、進行が意外に早いように思えました。
ただし、薬がどの程度作用していたかや、飲まなかった場合と比べてどうだったかは、家族には判断できません。
薬の効果や変更については、家族だけで結論を出さず、診察時に医師へ状態を伝えて相談するようにしました。
待合室で「まだかしら」と繰り返す
診察を待っている間、母は次第に落ち着かなくなりました。
椅子に座ってしばらくすると、時計や受付の方を何度も見ます。
「まだかしら?」
「受付に聞いてこようかしら?」
私が「順番だから、もう少し待とう」と説明すると、そのときはいったん座ります。
しかし数分たつと、また同じ質問が始まります。
以前の母であれば、雑誌を読んだり、周囲を眺めたりしながら待てていました。
この頃は、いつ呼ばれるのか分からない時間を、じっと待つことが難しくなっていたようです。
薬局でも同じように落ち着かなかった
診察が終わると、同じ建物内の薬局へ処方箋を出しに行きました。
ここでも薬が用意されるまで、しばらく待つ必要があります。
母は席に座っても、何度も受付の方を見たり、立ち上がろうとしたりしました。
「もうできたんじゃない?」
「忘れられているんじゃないかしら?」
「聞いてきた方がいいわよ」
そう言って、待ち時間をとても長く感じている様子でした。
家族から見ると、実際にはそれほど長い時間ではありません。
しかし母には、診察が終わった後に、なぜまた待たなければならないのかが分かりにくかったのかもしれません。
落ち着かなさには理由があったのかもしれない
当時は、母が以前よりせっかちになったように感じていました。
「もう少し待てばいいのに」と思ったこともあります。
しかし今振り返ると、母には病院へ来た理由が十分に分かっていませんでした。
なぜここにいるのか。
何を待っているのか。
いつ帰れるのか。
この後に何をするのか。
それらが分からない状態で、見慣れない場所に座り続けることは、不安だったのではないかと思います。
母の落ち着かなさは、単に我慢ができなくなったのではなく、状況を理解できない不安の表れだった可能性があります。
これは家族として当時の様子を振り返った推測であり、母の気持ちを断定するものではありません。
説明は短く、目の前の予定だけにした
詳しく説明すれば安心してもらえると思い、最初の頃は次の予定まで含めて話していました。
「これから診察を受けて、その後に薬局へ行って、薬ができるまで待って、それから帰るよ」
しかし、一度に多くのことを説明しても、母には残りにくくなっていました。
そこで、その時点で必要なことだけを短く伝えるようにしました。
「今は診察の順番を待っています」
「受付は済んでいるから大丈夫です」
「薬ができたら名前を呼んでくれます」
「終わったら一緒に帰ります」
母が再び同じことを尋ねたときも、「さっき説明したでしょう」と言うのではなく、同じ短い言葉を繰り返すようにしました。
毎回うまく安心してもらえたわけではありませんが、詳しい説明を重ねるよりも伝わりやすい場面がありました。
待ち時間を減らすためにできること
私たちの場合は、次のような小さな工夫を意識しました。
- 予約時刻より極端に早く着かないようにする
- 受付が済んでいることを短く伝える
- 次に何を待っているのかを一つだけ説明する
- 本人が落ち着く飲み物や身近な話題を用意する
- 薬局では、待ち時間の目安を確認する
- 同じ質問をされても、間違いを責めずに繰り返し答える
医療機関によっては、混雑しにくい時間帯を相談できたり、家族から事前に状況を伝えられたりする場合もあります。
待つことが大きな負担になっているときは、診察時に医師や看護師、受付へ相談してみることも大切です。
まだ一人でできるように見えていた
この頃の母は、まだ普通に会話ができ、自分で歩き、外出もしていました。
病院の受付で名前を言ったり、薬局へ処方箋を渡したりすることもできました。
できることが多く残っていたため、周囲からは、それまでと大きく変わっていないように見えます。
しかし実際には、「何のために行うのか」という行動の目的が、少しずつ分からなくなっていました。
手続きや動作ができることと、その意味を理解していることは同じではありません。
この違いに家族が気づくまでには、時間がかかりました。
医療編を振り返って
母の医療に関する変化は、最初から大きなものではありませんでした。
- 処方薬を「まだ必要ない」と言って飲まない
- 先の予約を「今日の病院」と思い込む
- 通院理由を以前の股関節手術だと思う
- 待合室や薬局で落ち着いて待てない
一つだけを見れば、誰にでも起こりそうな出来事にも見えます。
しかし、こうした小さな変化が重なり、母が一人で医療や服薬を管理することは難しくなっていました。
家族がすべてを代わりに行うのではなく、母ができることは続けてもらいながら、難しくなった部分だけを補う。
その線引きを探すことが、認知症初期の介護だったのだと思います。
この記事について
この記事は、母と家族の介護経験を記録したものです。通院理由が分からなくなったり、待合室で急に落ち着かなくなったりする原因は、認知症だけとは限りません。急な変化、強い不安、体調不良などがある場合は、かかりつけ医や専門医へ相談してください。
認知症初期の記録
前回の記事では、先の予約日を「今日が病院の日」と思い込み、病院へ何度も電話していた時期を振り返っています。


